いつか来るその日の為に僕は歩き続ける

 

 

つまり自分自身は何の為にモノを作り、何の為にモノを売り続けるのか。

自己認識と自己存在の証明。

ただし、それは磁針の効かない羅針盤。

どこまで歩き続けたとしても特別な景色は見えることはないと分かっていてもその歩を留める訳にはいかず、惰性であり無意識であってもその歩みを止めることは出来そうにない。

 

 

分かっていることはいくつか在る。

いつか死ぬということ。

ただし、死ぬ為に生きることと生きるために死ぬことでは意味が違う。

内包された死を持って生まれゴールなど有りもしないのだ。

つまり、最初からその最後を抱えたまま僕らは生を受けている。

ある種の、ある意味でのこれはバトン。

そう考える。

 

これはまた始まりなのだ。